『ギャンブラー』
桂三枝創作落語『ギャンブラー』のあらすじ
男が商売をしている自宅のお金を持ち出して競馬場に行くが、今日も外れて残金0円。散々ぼやいた後、家族に競馬に行ったことがばれないように競馬新聞を捨てて帰るが、耳に挟んだ赤鉛筆でばれてしまう。責める家族に俺はこの店で一番働いていると抗議するが、「お兄ちゃんは博打の才能がないからやめろ」と高校生の妹はきっぱり言い渡す。
その妹が「ゲーセンで稼いでくる」というので、兄が「まさかゲーセンで賭けているのか。ましてや試験前だろう。」と注意すると、「試験はヤマをかけているから大丈夫」という。男が父親に店のお金を持ち出したことを謝ろうと、父親がどこにいるのか聞くと、奥の部屋で商店街の人と麻雀をしていると言う。
奥の部屋に顔を出すと、父親は「麻雀のように自分でやって自分で勝ったり負けたりするようなものならいいが、競馬のように他人のやることに大事なお金を賭けるのは間違っている。自分でするような勝負をして、商売のための勝負勘を磨け。俺も駅裏でやっていた店を商店街に移動して、ここぞというときに勝負したんだ。」と説教する。だが、説教しながら続けている麻雀が負けているので、説得力が全くない。麻雀に負けた父親が、「ツキのないやつがそばにいると負けるから向こうにいけ。お母さんに謝ってこい」というので、母親の居場所を聞くと「二階でタバコ屋のおばちゃんとコイコイをやっている」という。
母親のところに行くと、父親と同じように「競馬はダメだ。自分でやるものに賭けろ。」と説教する。「自分も銀行勤めをしていたのに、勝負してうどん屋の男と所帯を持ったんだ。ちょうどおばちゃんが見合い写真を持ってきたから、所帯を持ってしっかりしろ。」と見合い写真を息子に5つ見せて、どれか選べと言う。
しばらくして、母親がどの女性がいいか決めたのかとせかすので、男が「この人がいい」と言うと、母親は「やっぱりや。ほら、お父さん、2000円。」と言う。息子がどの女性を選ぶか、両親が賭けていたのだ。しかも、お見合いの日にちを決めた後にも、「このお見合いが上手く行くか、一万円賭けよう」と言い出す母親であった。
お見合い当日、お見合いを成功させようと、母親は息子にしゃべらせず、趣味は寺巡りや写経だと嘘をつく。だが、銀行員の女性の方に趣味を聞くと、趣味は競馬で、今年も万馬券を3回も当てたんだと言う。結局、二人は趣味が合って、結婚する。
さて、店が休みの日、新婚夫婦は今日も競馬場に行っている。父親が、「いい嫁でよかった。夫婦で趣味が合っているし、元銀行員だからお金の計算も速い。」と誉めまくる。しかし、母親が返した言葉は「でも、お店のお金を持ち出しているんですよ」というサゲ。
桂三枝創作落語『ギャンブラー』の感想
これは私の好きな落語です。噺が好きというより、この噺の根底にある『賭け事は危険な遊びというよりは、人生の勝負どころのときに必要な勘を磨ける』といった考え方が好きなんです。裏を返せば、賭け事を正当化する理屈を教えてくれるので、賭け事にハマっている人に聞かせちゃいけない落語かもしれませんね(笑)。でも、両親ともに、賭け事がダメというのではなく、競馬がダメという理屈をこねるのが、この落語の面白いところです。
また、この家族、どうも女性陣が勝負勘がよく、男性陣が勝負勘悪いみたいです(笑)。この辺は、三枝さんの考え方の中にそういうところがあるのかもしれませんね。母親と父親の掛け合いや、母親と息子の掛け合い部分が面白いので、じっくり聞いてくださいね。
「桂三枝大全集 創作落語125撰 第32集」の三枝さんの文章にもあるのですが、三枝さん自身も賭け事が好きなんだそうです。だからといってのめり込むわけではないけど、芸人の世界に入ったこと自体が賭けだし、「勝負の勘を養った方が芸がよくなる」という先輩の話にもうなずけるのだとか。
そう言われるとと、結婚相手に誰を選ぶとか、学校選び・職場選びだって事前に100%理解しておくことはできないし、生きているということは全てが賭けとも言えるのかもしれません。そういう目で自分の周りを見ると、ちょっと考え方が変わってきます。
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桂三枝大全集 創作落語125撰 第32集